パワーストーンは科学か否か

パワーストーンはいわゆる疑似科学、ニセ科学、あからさまに言えばインチキ、オカルトの類とされています。
ただし、この見解はあくまでも科学の世界のそれであり、当の科学界でも、科学と疑似科学の区別方法については、定説化した理論は存在しないというのが実状です。

また、パワーストーンの範囲を天然の貴石にとどめず、鼈甲、象牙、金銀銅、化石類、岩塩、果ては人工のガラス玉までをパワーストーンと呼んで売る商業主義には、パワーストーン愛好家さえ眉をひそめ疑義をさしはさむことがあります。

イワシの頭でも神と信じて祈れば願いが叶うと言われるのと同じく、何のパワーも持たない物質に祈った結果、望みが叶ったとしたら、当事者はそこに因果関係を想定したくなることがあるのは理解できます。
また、薬理学にいわゆる「プラシーボ(偽薬効果)」のように、例えば「この石を持っていれば恋愛が成就する」と信じた結果想う人と結ばれたとしても、それは石の力ではなく、必ず叶うと信じて積極的に行動したことが相手の好感を誘ったという仮説も成り立つわけです。

科学は、こうした事象が反証に耐えられるものかどうかを調べたり、そもそも当該「パワー」の存在を客観的に非偶発的に認識することができるかどうかを検査したりします。
ところが、科学のこうした態度が、特に医療の世界ではときとして邪魔物であるという認識が、特に2000年代以降に世界的に広まります。
これは、統計的根拠に基づく実効性のある医療を積極的に認めようとする考えから、いまだその医療効果が薬理学的に解明されていない医療法を現場に取り入れていくという行動につながっています。

パワーストーンの効果効能もこれに類するものがあると主張する人もあり、「論より証拠」という、疑似科学の特徴とされる「実証主義、証拠主義への消極性」に挑戦しようとする愛好家もいます。
パワーストーンが疑似科学である、または科学的でないという批判があるにせよないにせよ、パワーストーン愛好家は確かに存在するのであり、その全てが妄想家であると考えるほうが、常識的に考えて無理があるとも言えます。

そもそも、科学はおよそ商業と切っても切れない関係にあり、例えば、ある薬や物質が人体に有害であるという科学者の指摘があった場合に、その薬や物質を扱って儲けている企業は、科学者を雇って当該批判に対する反証を示させたりします。
結局は万民が認める結論に至ることはなく、事は灰色のまま時を過ごすことはきわめて多かったりします。

科学、疑似科学、イワシの頭、プラシーボ、実証主義、商業主義などのキーワードを並べて眺めてみるとき、「信じる信じないは個人の問題」とは言うものの、本当に効果のあるパワーストーンと、その効果的な使用法を見極める際の指標にも用いうると言えるのではないでしょうか。

また言うまでもなく、パワーストーン愛好家の基本的思考は、「科学は万能ではない」という合言葉に立脚するものでもあるわけです。

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